「行かなくてもいいよ」不登校、学校へ行きたくないキミへ

高校生のとき、僕は学校へ行かなくなった。
目的がなくなったから。
行く必要がなくなったから。
「プロ野球選手になる」ことだけを目標に高校へ進学した。
しかし、その夢はもろくも崩れることになる。
野球のために選んだ高校。
部活がなくなった僕には、学校へ行く意味がなかった。
「これからどうしよう。。。」
もう、頭は真っ白。
やりたいこともない。
やることもない。
人生プランは狂い、今後の人生をどうするか、どうやって生きていくのか。
大きな命題が残された。
野球を諦めた後悔もずっとあった。
学校へ行くと、「帰って来いよ!」と先輩に声をかけてもらうこともあった。
「かっこ悪い。。。」
そんな見栄えを気にして、僕が部活に戻ることはなかった。
行く必要もない。
行くたくない。
そうやって学校へ行かなくなった。
やることもないので、河川敷へ行き、空を眺めた。
「さぁ、これからどうする。。。?」
高校1年生の秋。
大きな、大きな命題が僕には降りかかってきた。
結局、「とりあえず、大学へ行って考えよう」ということで、浪人をして大学に進学した。
「不登校でしんどくなかったですか?」と聞かれることがある。
もちろん、しんどかった。
けれど、そのしんどさは、みんなが想像しているものではない。
学校に行けないことでしんどいと思ったことはない。
人生でなにをするかわからなくて苦しかった。
未来を描くことが出来ずに苦しかった。
有り難いことに、学校へ行かないからと言って僕を責める人はいなかった。
「なにがなんでも学校へ行け!」と強要されたことはない。
学校が終わるギリギリの時間に行くと、先生が「おお!よく来た」と歓迎してくれた。
僕には、受け容れてくれる人がいた。
その人たちに僕は救われた。
今になって思う。
その人たちがいたから、僕は将来について、自分の今後についてじっくり悩むことが出来た。
100%の力で、自分に向き合うことが出来た。
あの時間は、とても大切な時間だった。
答えは、出なかった。
楽しい時間でもなかった。
でも、今になって思う。
僕にとって必要な時間だった。
僕は、学校に行きたくないなら、行かなくていいと思っている。
人は、いろいろ言うだろう。
大人は、もっともなことを言う。
「勉強に遅れると困る」と。
大人の1人である僕も、それはそうだなとも思うけれど、もう1人の自分はそれを全力で否定したい気もある。
勉強やどんなことよりも大切なことがある。
自分と向き合うのは、とても大切なことだ。
自分の感情や心の声を無視して、我慢して勉強することを僕はすすめない。
そんなの、怪我をしているのに、だましながらプレーするのと一緒だ。
根本的な解決にはならない。
苦しい。
しんどい。
もしかしたら、自分自身その原因がわからないこともあるかも知れない。
人は、「たるんでいる」「意思が弱い」「根性がない」などと言って、攻撃してくるかも知れない。
でも、今感じている気持ちは、とても大事なものだ。
向き合うのは勇気がいる。
自分をだましながら学校へ行くことのほうがラクかも知れない。
人からは、きっと理解されないだろう。
誰もわかってくれる人がいないかも知れない。
それは、とてもツライことだ。
でも、大丈夫。
キミの近くにはいないかも知れないけれど、世界にはキミを理解してくれる人で溢れている。
「学校なんてどうでも良いよ」と言ってくれる。
大丈夫。
僕は、高校にほとんど行かなかった。
けれど、大学へ進学することが出来た。
まぁ、関西ではそこそこの大学だ。
大丈夫。
本気でやろうと思ったら、そこから挽回が出来る。
モヤモヤしたまま、なんとなく学校へ行くくらいなら、行かなくていい。
あせる必要もない。
その時間は、きっと神様からキミにくれたプレゼントだ。
きっと、後で思える。
「ああ、自分にとってこの時間は必要だった」と。
大丈夫。
キミには、まだまだ時間がある。
学校へ行かない数ヶ月、数年なんて人生の中ではたかがか知れている。
人生を映画で考えたら、その場面は数分で終わってしまうくらいだ。
大丈夫。
まだ、慌てるような時間じゃない。